みぃの徒然

毎日いろんなことがあるよね。そんなこんなの記録。

自分言葉を持つということ

注目している茂木健一郎さんの連続ツイート。
11/18、連続ツイート第779回「自分の言葉を、持とう」でした。

「自分の言葉を持つために必要なことは、簡単である。自分で感じ、自分で考えること。そんな簡単なことが、できないでいる人がたくさんいる。」

ドキッー。
自分で感じて自分で考えて、自分で言葉にしていく。
自分で感じて自分で考えて、自分で行動を決める。
自分自身の行動に責任を持つ。
これが自律、自分自身を律することにつながっていくのか・・・

連続ツイートを、ここにもまとめて引用します。

じも(1)昨日のメルマガ号外の記事を少し補足しつつ、一般論を述べたいと思う。号外記事では、「一次資料」に自らあたることが大切だと述べた。youtubeやニコ生などで、今はそれができる。メディアの中でつくられたイメージではなく、自分で直接その人の発言に触れて判断する。

じも(2)石原慎太郎さんが、近隣諸国のことについて「問題発言」を繰り返していることは事実。一方、過去の都知事選の得票を見ればわかるように、根強い人気を持つことも事実。この二つのことはどう両立するのか。メディアの中でつくられたイメージではなく、一次資料に当たらないとわからぬ。

じも(3)youtube上に大量にある石原慎太郎さんの会見映像を見ていると、すぐにわかることがある。石原慎太郎さんの言葉は、圧倒的に「自分のもの」である。石原さんの肉体があり、歩んできた歴史がある。作家だから当然と言われればそうだが、自分の言葉を発することができる人である。

じも(4)石原慎太郎さんの発言の趣旨に賛成するかどうかは別として(私自身、必ずしも賛成するわけではない)、その言葉がご自身のものであることを見極めなければ、その人気の秘密はわからないと思う。これは一次資料にあたって、なぜかと考える科学的態度の結果であって、ためにする発言ではない。

じも(5)逆に言えば、「普通の日本人」がいかに自分の言葉を持たないかということで、これは心底恐ろしいことだと思う。ツイッター上でも、すでにメディアの中で流通して手垢のついた言葉を連ねて、それが自分の意見だと思っている方が多い。「小さく前にならえ」の教育の中でそうなってしまうのか。

じも(6)自分の言葉を、持とう。それは、簡単なことのようで、実は難しい。しかし、苦労して自分の言葉を持てば、それはすばらしい福音となる。自分の言葉を持つために必要なことは、簡単である。自分で感じ、自分で考えること。そんな簡単なことが、できないでいる人がたくさんいる。

じも(7)私の鳩山由紀夫さんについての語り方を、わからないという人がいる。メディアの中で手垢のついた鳩山さんのイメージを追認しているだけだからだろう。昨日の大学での議論で、学生が「友愛」の意味が初めてわかったと驚いていた。メディアの中の「友愛」のイメージに邪魔されていたのだろう。

じも(8)自分の言葉を、持とう。それは、どんなことよりも、この世で生きることを助けてくれる。私たちの中には、一人ひとり、他の人が自分の言葉で語っているか感じるセンサーがある。そのセンサーを、自分自身にも振り向けよう。自分の言葉を紡いでいるか。それとも、手垢がついているのか。

じも(9)ある人物の、メディアの中のイメージが実像と離れていることはよくあること。それは、社会の一つのホメオスタシスの作用なのだろう。個人は、いつも社会の中のイメージを超えている。肩書きや組織で決めつけるのも同じこと。自分の言葉を持つことは、人間の回復への第一歩である。

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