みぃの徒然

毎日いろんなことがあるよね。そんなこんなの記録。

本気でいいたいことがある / さだまさし

大好きなさだまさしさん。
新書を図書館で見つけたので手に取りました。

□本気でいいたいことがある さだまさし

気になったところを引用していきます。

第3章 子育ては国育て
P51

昔とは「職業」に対する概念が大きく変わった、ということでしょうか。

しかし僕は、職業というものは、命がけの人生観の噴出だと思うのです。
青臭い意見だ、と笑われるかもしれないけれど、仕事というものは経済活動には違いないが、その仕事の先にある、この道を行きたいのだ、という自分の人生とイコールになるような、仕事への愛とか誇り、みたいなものが実は一番大切だと思っているのです。
だから僕にのって職業の理想は「楽しんでやれる」ということです。
もちろんそれで賃金が良ければ最高ですが、賃金のために嫌な仕事を我慢してやるなんてまっぴらです。
「楽しむ」ということは、単純に面白おかしいという意味ではありません。
頑張って自分で歩く上り坂の苦しさを楽しめるか?ということなのです。
そう、苦しむことを楽しむことができたら、嫌な仕事を我慢して苦しむだけの人より、もうワンステップ上のステージまで行く事ができるからです。

第4章 神様は本当にいますか?と聞かれたら
P76

宗教とは、自分の「神さま」と向かい合うことで自分自身と向かい合うことを言うのだ、と僕は思っています。ですからこれからも本書で時折出てくる「神」あるいは「神さま」という言葉は、けっして特定の宗教を拠り所にして言うのではなく、「自分の心の中に住む人知を超えた存在への畏敬の念」のことをいっていると受け止めてください。

P83

一方、紙を信じている人は−心の中の、誰でもいいんです、お祖母ちゃんかもしれないし、ご先祖さまかも分からない−何かわからないけれども、天という存在に対して、「この難局を切り抜けさせてくれてありがとうございます」、と思わず手を合わせる気持ちがある。
そういうふうに生きていれば、煮詰まって煮詰まってどうしようもないときに、神さまに恨み言が言えるんです。なんでなんですか?どうにかして下さいよ、と。対話の相手になってもらえるんですね。
それはけっして正しいとか誤りであるということではありません。
「神さま」は人の心の中に存在しているわけですから、根本的な自分との向かい合い方の差にすぎないのです。

第5章 教育とはなんだろう?
P100

今は、知識と教養とがごっちゃになっています。
たくさんの知識があるというのは「記憶力」です。これもとても大切なこと。でも、それを「頭が良い」と言うのは少し違います。覚えたその知識を実生活に活かすことが出来なければ、ただの頭でっかちに過ぎません。
つまり知識を応用する能力のことを指して「教養」と言うのです。
本当に「頭の良い人」とは、臨機応変に対応できる「応用能力の高い人」のことなのです。
そういう人を育てる教育をしなきゃ、せっかくの学校がもったいない。

今回はここまで。まだまだ続く・・・(はずです・(笑))

−−−11/19追記

第6章 「惜しまない」から始めよう
P118

我々人類共有の財産として、使っても減らないものが2つあるんです。そしてそれは、産まれたときに赤ん坊が両の掌で握りしめて来たものでもあります。
「勇気」と「元気」です。

第7章 コミュニケーション不全への処方箋
P124

今は兄弟が少ない時代だから、他の兄弟よりもっと自分が親に愛されたい、という「自己顕示欲」が不必要なのかもしれませんね。
でも、その割に一人っ子だからといって「自分は愛されている」という実感を持つことはとても難しいようです。
「お前を本当に愛しているよ。お前のことを大切に思うから厳しいことも言うんだよ」ということが、きちんと伝えられない親ばかりになったのでしょう。
会話不足の行き止まりがそこです。
自分が子供の頃にどう育てられたかは、子育てをするときに大切な要素になります。

P125

本心を思い通りに、歯に衣着せず、正直にすぱっと相手に言うには、お互いの信頼関係がきちんと出来ていなければいけません。
そういう相手がそんなに沢山いるはずはないんです。時と場合、相手によって言い方を変えていくのが人付き合いだし、コニュニケーションでしょう。「マイペース」といえば格好がよいですが「人のことが考えられない」だけで、これは「利己主義」以前の「視野が狭すぎる」状態です。「幼児的自己中心主義」と言った方がいいでしょう。

第8章 二束三文の正義

今の日本は「義」を失っています。
「正義」ではありません。一文字の「義」です。
「義」という言葉の中には、既に「人としての正しさ」という意味が含まれているんですね。(略)「義」には元々「人間として正しい思い」という意味があるのに、そこに更に「正」という字を付けているのが「正義」です。

−−−今日(11/19)はここまで