みぃの徒然

毎日いろんなことがあるよね。そんなこんなの記録。

「空」ってなんだ?

とある方とお話していたときに“仏教用語でいう「空」”という言葉がでてきました。
いまいちよく掴めなかったので、調べて思いを巡らしてみます。

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仏教の空(くう、梵: śūnya、巴: suñña)とは、固定的実体もしくは「我」のないことや、実体性を欠いていることを意味する。空は時代や学派によっていくつかの概念にまとめられるが、その根本的な部分ではほぼ変わらない。
原語はサンスクリットの形容詞「シューニヤ」、名詞形は「シューニヤター」(Śūnyatā) でしばしば「空性」と漢訳される

−−−Wikiより

インドに二〜三世紀頃在世し、『般若経』を中心に空の哲学を大成したナーガールジュナ(龍樹)は、縁起思想にもとづいて「空」を理解した。「此れあれば彼あり、此れ生ずれば彼生ず・・・・・・」という成句に示される縁起の意味は、ものはすべて、なんらかの他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対的存在は決してありえないことを教える。この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを「空」という。すべては空であって、夢・幻の如きものである。本来、聖でも俗でもないものを、聖とか俗とか判断するのは、私の心の区別、分別作用である。聖も俗も言語上の区別にすぎず、空という点では両者は不二である。
 ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁起的には有として肯定される、という両面をもった存在である。
 そうであれば、自己主張の真・正・善性を標榜し、他を排除するところに闘争がくりかえされる現代の世相を思うに、絶対性を否定し、執着からの解放を教える「空」の考え方こそ、顧みられるべきでなかろうか。

−−−大谷大学 > 読むページ > 生活の中の仏教用語 > 空

2箇所から引用してみました。

うーーーん、やっぱりよくわからない。

物事はすべて自分自身の受け取り方によって見え方が変わってくる
善悪、正誤など二元的に捉えるのではなく、ありとあらゆる可能性を考えていこう

こんなような解釈でいいのかしら?
かなり乱暴にも思われるけれど・・・(苦笑)

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